これを見れば丸わかり!命のビザと杉原千畝さんの魅力☆
どうも✨
足立佑介です😏
現在のグーグルのロゴは、杉原千畝さんが多くのユダヤ人の方を助けた
「命のビザ」に変わりました🙌!
カフェで記事を読んでいた携帯をそっと置き、店内にいる人達を見渡すと
『杉原千畝さんを聴いたことがあるけど、詳しくは知らない、、、!』
と、いう方が見受けられました✨✨
(ぼくの偏見です笑)
でも大丈夫♪
ぼくも似たような感じでした😎
これから、一緒に振り返って行きましょう✨
今日のテーマは「これを見れば丸わかり!命のビザと杉原千畝さんの魅力☆」です♪♪
①杉原千畝とは
▼生涯
1900-1986年
▼出身
▼何をしてたの?
外務省職員
▼なんで有名になった人なの?
ここで、杉原千畝さんを過去を振り返りましょう😊
①逃げ惑うユダヤ人の人々
第二次世界大戦中、ユダヤ人がヒトラーからの迫害から逃げるために、各国に渡ろうとしていました
しかし、別の国に渡る時は当然ビザが必要!
行く先々で
・ちゃんと手続きが終わってない!
・余裕を持ったお金を持っていない!
という理由で、入国を拒否されていました、、、😶
行く先がなくなっていくユダヤ人の人が向かった先は日本領事館🙌
(当時、メキシコの南にある小さな島の1つにありました)
この日本領事館で働いていたのが、杉原千畝さんです✨
②杉原千畝さんと本省の駆け引き
杉原千畝さんは、日本領事館に押し寄せてくるユダヤ人の人々を見て「本省」に連絡します!
杉原千畝さん
『ユダヤ人の人々が、ビザを発行できなくて困ってます!発行の許可を下さい!』
本省
『余分なお金を持ってて、ちゃんと手続きが終わっている人ならいいよ!』
杉原千畝さんは日本領事館からユダヤ人の人達の服装や佇まいを見たとき、
余裕のお金がある状態じゃないと感じました🤔!
③杉原千畝さんの決断
『これではほとんどの人がビザを貰えない』と、杉原千畝さんは苦悩します!
そこで杉原千畝さんは、
『このままユダヤ人の人たちが迫害を受け続けるのは人道に反する!』
と考えて出した答えは
・本省への連絡を遅らせる!
・その間に手書きでビザを作る!
というものでした🙌
ソ連や本国から何回も「退却命令」が出ているのも全て無視し、1ヶ月ほどずっとビザを書き続けてはベットに倒れこむという日々を送ってました!
これ以上この日本領事館にいるのは厳しくなると、荷物をまとめ日本領事館を後にして
ベルリンに向かう車窓からビザを書きながら配り続けました✨
ユダヤ人の人を助ける渾身的の姿勢が、話を紡いでいき「命のビザ」と言われるようになりました♪♪
まとめ☆
如何でしたか✨?
歴史を知ると見え方が更に変わりますよね😌
目の前の変化を『ただの変化』と捉えずに、その歴史を振り返るチャンスにして、
皆さんとトレンドを先取りし続けます!!!